翻訳と辞書
Words near each other
・ 太田資康
・ 太田資忠
・ 太田資愛
・ 太田資房
・ 太田資政
・ 太田資時
・ 太田資晴
・ 太田資次
・ 太田資正
・ 太田資武
太田資武 (掛川藩嫡子)
・ 太田資清
・ 太田資直
・ 太田資美
・ 太田資胤
・ 太田資良
・ 太田資言
・ 太田資長
・ 太田資雄
・ 太田資順


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

太田資武 (掛川藩嫡子) : ミニ英和和英辞書
太田資武 (掛川藩嫡子)[おおた すけたけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 
嫡子 : [ちゃくし]
 【名詞】 1. legitimate child 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

太田資武 (掛川藩嫡子) : ウィキペディア日本語版
太田資武 (掛川藩嫡子)[おおた すけたけ]
太田 資武(おおた すけたけ、宝暦13年7月2日1763年8月10日) - 天明4年8月25日1784年10月9日))は、遠江掛川藩の嫡子。第2代藩主太田資愛の長男。正室は松平定静の娘。官位は従五位下、大和守、采女正。幼名は伴之助、新六郎。
宝暦13年(1763年)、掛川藩嫡子として生まれる(『寛政重修諸家譜』では宝暦11年(1761年))。安永6年(1777年)に徳川家治に拝謁し叙任する。しかし、家督相続前の天明4年(1784年)に早世した。代わって、次弟の資順が嫡子となった。
法名は道因日縁徳浄院。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「太田資武 (掛川藩嫡子)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.